上谷千鶴
Chiduru Kamitani
岐阜県本巣市、岐阜市の2箇所でピアノ教室を主宰しています。お子様の最初のおけいこごととして、また英才教育の一助として、さらには音楽の道を本格的に目指したいとお考えのお子様、趣味で弾きたい大人のレッスンや保育士・幼稚園教員を目指す方まで、幅広くお引き受けしています。
◆ピアノとわたし~上谷千鶴がピアノ講師になるまで
ピアノをはじめたのは2歳10ヶ月です。物心ついた時には、アップライトのピアノが既に自宅に置かれていました。「何か技術を身につけさせたい」という親の考えもあったようです。
小中学校時代は紆余曲折はあれど、毎日コツコツ練習を重ねて音楽高校へ進学。ピアノに没頭できた恵まれた環境のなかで、同期と競い合うようにして演奏技術をきっちり積み上げました。その基礎の上にあった音楽大学時代は、ピアノを弾くことが心から楽しくなり、音楽に囲まれた環境の中で、更に充実した日々を過ごしました。
音楽高校、音楽大学の卒業時には、トップ層の学生だけが出演できる卒業演奏会への出場を叶えてみて、「一つのことに全力に打ち込んでいけば、望む結果は必ず手に入れられる」という事を身をもって実感しました。
その後、現在のピアノ講師となり、教室を開業しました。レッスン室にある3台のグランドピアノのうちの1台は、音楽高校入学の折に買ってもらったものです。これまでの私の人生にずっと寄り添い、今も、私と一緒に生徒たちの成長を育み、見守ってくれています。
◆3人の息子との再出発も「ピアノ」と共に
結婚してまもなく3人の子供に恵まれました。男の子3人の子育てに奮闘しながらも家族に囲まれた日常に感謝する毎日でしたが、私が38歳の時に夫に癌が見つかり、翌年に亡くなりました。長男10歳、次男8歳、三男6歳の時でした。
先の見えない人生の再出発でしたが、まずは長男が成人する10年後をひとつの目標におき、何事にも一生懸命に取り組みました。そうすると、不思議と3人の子どもたちを前にすると力が湧き、懸命にやっていく事により、人にも仕事にも恵まれました。
更にピアノ教室にも生徒さんが増え、2010年には自宅のピアノレッスン室を拡張。レッスンに来る日が待ち遠しくなるように、ワクワクしていただけるようなレッスンルームを作りました。
また、2015年には、憧れのスタインウェイのグランドピアノも迎えました。発表会のない年に開催する「スタインウェイコンサート」では、その特別で、繊細で豊かな音色を感じとっていただけると思っております。
ピアノが弾ければ、ちょっと特別な存在にもなれたりします。でもお分かりのように、日々の練習の積み重ねがあるからこそピアノは上手くなれるし、楽しさも増していきます。
◆ブリランティ バンビーニ 千鶴ピアノ教室で得られるもの
子供も大人もレッスンを受講してくださる方々には、「一人ひとりが自分色で、輝き続けて欲しい」という願いを込めて、教室名を「ブリランティ バンビーニ(きらめくこどもたち)」としました。
ピアノを始めるきっかけは人それぞれです。単純に「ピアノを弾いてみたい」「ピアノが弾けたら素敵」など、どんなきっかけであってもいいと思います。きっかけが何であっても、一つのことを続けて行く過程においては、集中力や自分に負けない強さを身に付け、心の豊かさを培っていくものだと思っております。
私は、ピアノを習いにきてくださる方々の人生において、ピアノが何かの形で糧になっていくものと信じ、全力で指導にあたらせていただきます。
🎼経歴
鶯谷高校音楽科ピアノ科卒業
同高校、定期演奏会、卒業演奏会に出演
在学中は、山下勝氏に師事
名古屋音楽大学 器楽科 ピアノ専攻卒業
同大学の卒業演奏会
在学中は、水谷栄子氏に師事
岐阜県新人演奏会に推薦出演
高校音楽教諭二級免許取得
元ヤマハシステム講師
長年、ミュージカルやコーラス伴奏者として活躍と共に、ブリランティ バンビーニ 千鶴ピアノ教室〈真桑*諏訪山教室〉を展開し、生徒さん一人ひとりの個性と強みを生かした指導で好評を得ている
ピアノコンクール指導者賞多数受賞
2014年、第2教室の諏訪山教室を開設
真桑教室及び諏訪山教室の主宰
【大好きな言葉】
一生懸命
夢は見るものではなく、叶えるもの